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このサイトは、元朝日新聞記者の植村隆氏が、慰安婦報道をめぐって櫻井よしこ氏らを名誉毀損で訴えた「植村裁判」の主要文書類を収録したデータベースです。植村氏が書いた記事は捏造ではないことを多くの方々に知っていただくために、また、櫻井氏らを免責した判決の問題点の検証に資するために、広く一般に公開します。
■目次■植村裁判資料室は、以下の記事、文書、写真を収録しています
▽東京訴訟:第1、2、3、4、7、最終準備書面、控訴理由書、控訴意見陳述書、上告理由書、同要旨、上告受理申立理由書、同要旨 ▽札幌訴訟:第1、2、9、10、11最終準備書面、控訴理由書、控訴準備書面(3)、上告理由書、上告受理申立書
▽東京訴訟:答弁書、被告準備書面(2通)、取材経過一覧表、西岡陳述書、竹中陳述書、控訴答弁書
▽札幌訴訟:被告準備書面(3通)、櫻井陳述書(2通)、控訴答弁書
――傍聴席から見続けた植村裁判
・・・・・・・PART1~11の内容を紹介します・・・・・・・・
■PART1 植村裁判の基礎知識
植村裁判を理解していただくための基本情報です。植村裁判の足取り、訴因となったできごと、裁判のあらまし、裁判の訴状などを収録しています。
■PART2 捏造ではない――その根拠
植村氏が裁判で訴え続けたのは、「私の書いた記事は捏造ではない」ということでした。植村氏は法廷で11回の意見陳述を行い、本人尋問では2回、櫻井、西岡側代理人の質問に応じました。全国各地の集会や講演会でも語り続けました。植村弁護団は多数の書面で、「捏造はあり得ない」ことを立証し、学者、研究者も意見書でそれを裏付けました。朝日新聞社が行った記事検証や第三者委員会報告でも「事実のねじ曲げはない」と明記されています。当時の日韓の報道の内容がほぼ同じであったことも、植村記事が捏造ではないことを裏付けています。PART2は、「捏造ではない」ことの根拠となる発言、意見、資料を収録しています。
■PART3 誤りだらけの「捏造」決めつけ
植村裁判で最大の争点となったのは、植村氏の1991年の記事を「捏造」と決めつけた被告側の主張の当否でした。東京訴訟の被告西岡力氏、札幌訴訟の被告櫻井よしこ氏が植村氏の記事を「捏造」だと決めつける根拠は、要約すれば、次の3点ということになります。 ①植村が、元慰安婦(金学順氏)の述べていない経歴を付加したこと ②植村が、金学順氏が自ら述べた経歴を適切に報じなかったこと ③植村が、記事に関して利害関係を有していたこと。この3点について、植村側は多数の史資料、文書、記事、証言で反証し、西岡、櫻井両氏の言説には逆に多くの誤りがあることを明らかにしました。櫻井、西岡両氏の「捏造」決めつけの根拠は裁判で完全に崩されました。PART3はその経緯を記録しています。
■PART4 植村氏が受けた被害
植村バッシングは、個人を標的にして、いわれのない攻撃を加えた卑劣なものでした。このようなバッシングは、戦後日本のジャーナリズムの歴史においてもなかったことですが、SNSの強い影響力を世間に広く知らしめた社会現象でもありました。植村氏が受けた物心両面にわたる被害の実態と、バッシングを煽ったものの正体は、法廷で明らかにされ、裁判記録として残されることになりました。PART4はそれらの記録を収録しています。
■PART5 裁判の経過と判決
植村裁判は東京と札幌で計33回の口頭弁論が開かれ、判決は地裁と高裁で計4回言い渡されました。最高裁決定は2回下され、植村氏の敗訴が確定しました。植村側の「捏造ではない」との主張の展開をたどりながら、判決確定に至るまでの裁判経過と判決内容を記録します。
■PART6 判決を批判する
植村裁判の判決に共通するのは、名誉毀損表現によって植村氏の社会的評価が低下したことを認めたものの、「真実相当性」の法理や判例基準を逸脱する理屈によって被告を免責したことです。また、植村氏が受けた損害については、被告が主張する公益目的をタテにして、具体的な検討に踏み込みませんでした。争点の中心となった「捏造」決めつけの根拠については、①キーセン経歴を意図的に書かなかったこと、②義母の裁判に利するために書いたこと、の2つは「事実ではない」として「真実性」が否定されました。被告が最大の拠り所とする「人身売買説」は認められなかったことになります。しかし、③総動員令による挺身隊を想起させる表現を用いて意図的に金学順さんは強制連行されたと書いた、との被告側の主張は、東京訴訟では「真実性」が認められました。この点は、被告側が裁判終結後も「捏造」宣伝を流し続ける素地を残しました。PART6では、各判決についての解説、批判、コメント、抗議声明を記録し、判決の問題点を明らかにしています。
■PART7 原告提出の重要書面
原告(植村)弁護団が提出した準備書面のうちとくに重要なものと、控訴理由書、上告理由書を収録しています。
■PART8 被告提出の重要書面
被告(櫻井、西岡)と被告弁護団が提出した書面のうち、とくに重要なものを収録しています。
■PART9 法廷ドキュメント――傍聴席から見た植村裁判
植村裁判は当初の予想を超える長丁場となりました。口頭弁論開始から判決確定までの期間は東京5年11カ月、札幌は4年7カ月。口頭弁論と判決言い渡しのために、東京では20回、札幌では17回、法廷が開かれました。民事訴訟の口頭弁論は準備書面のやりとりによる擬制陳述が主となり、原告の出廷は義務づけられてはいません。したがって当事者の訴えや主張が肉声で発せられることは少ないのですが、植村裁判では植村氏の発言や弁護団の陳述の機会が裁判の節目で与えられました。植村氏の主張や訴えは法廷で一定程度、可視化された、といえるでしょう。裁判のハイライトは櫻井、西岡両氏に対して行われた本人尋問でした。櫻井氏も西岡氏も、「捏造」決めつけの根拠としている重要な資料を改変したり、誤読、誤解していることを追及され、苦しい答弁に終始しました。法廷ドラマを思わせるような緊迫した場面が目の前で繰り広げられました。PART9は、傍聴席から見続けた裁判の記録です。
■PART10 集会・講演・支援
口頭弁論終了後には毎回、裁判報告集会が開かれ、弁護団と植村氏の報告が行われました。報告集会は、法廷と社会と植村氏を結ぶ場でした。法廷で交わされるやりとりや書面の内容はここでオープンにされ、共有され、可視化されました。ジャーナリスト、学者、支援者のトークや講演、対談が行われることも定例化し、その様子は、SNSやブログで発信されました。報告集会だけでなく、法廷の外でのさまざまな活動が植村裁判を支えました。チラシや冊子の発行、資金カンパ、裁判傍聴PRなどが市民グループによって行われました。櫻井、西岡両氏の著作を収集分析する作業にも取り組み、両氏の重要な誤りや間違いを明らかにしました。その調査結果は弁護団の弁論活動にも生かされました。全国各地でも集会や講演会が開かれ、参加した市民から寄せられる共感や激励の声は、植村裁判を支える大きな力となりました。PART10では、報告集会の様子と、主な講演・対談、支援の動きをまとめて記録しています。
■PART11 関連する裁判
植村裁判と同じ時期に4つの訴訟が進行していました。いずれの訴訟も、植村裁判と同じように、慰安婦問題の歴史を消し去ろうとする勢力の存在が見え隠れしていました。①植村氏の長女をネット上で中傷脅迫した男は、満額の賠償請求を命じられました。②慰安婦報道を批判する3つの団体は、多数の市民を原告として朝日新聞社に賠償請求訴訟を起こしました。しかし、裁判所は争点となった「朝日新聞の慰安婦報道が国際的影響を与えた」ことを認めず、3団体の訴えはすべて退けられました。③慰安婦に関する著作と研究を「捏造」と決めつけられた吉見義明教授は、元国会議員を名誉毀損で訴え最高裁まで争いましたが、敗訴しました。④櫻井氏のコラムの誤った記述の訂正を産経新聞に求めて植村氏が起こした調停申し立ては、不調に終わりました。PART11は、以上の訴訟の概要を記録しています。
凡例▼人名、企業・組織・団体名はすべて原文の通り実名としている▼敬称は一部で省略した▼PDF文書で個人の住所、年齢がわかる個所はマスキング処理をした▼引用文書の書式は編集の都合上、変更してある▼年号は西暦、数字は洋数字を原則としている▼重要な記事はPARTをまたいであえて重複収録している▼引用文書以外の記事は「植村裁判を支える市民の会ブログ」を基にしている
updated: 2021年8月25日
updated: 2021年10月18日