※櫻井の取材経過として、東京地裁判決はア~スの13件を列記している。これに対して東京高裁は、それぞれについて「真実性」と「真実相当性」を認めない理由を➡のように記している
ア 被告は、フリーのジャーナリストである広河隆一から薬害エイズの話を聞いていた
が、平成4年3月下旬に広河の著作「エイズからの告発」が出版されたので、早速これを読んだ。
この著作には、安全な加熱製剤が米国では昭和58年の時点で販売されており、他方、日本で最大のシェアを誇っていたミドリ十字は当時、加熱製剤の開発が一番遅れていたこと、ミドリ十字としては加熱製剤の導入が早まればシェアを失う危機にあったこと、日本において加熱製剤の治験の責任者の地位にあり、ミドリ十字と太いパイプを持つ安部医師が治験を意図的に遅らせ、ミドリ十字の加熱製剤の開発が間に合うように「調整」操作をしたこと、安倍医師が昭和59年夏から昭和60年春にかけて帝京大学でのエイズ患者の存在を隠し続けていたこと、その期間は安倍医師が加熱製剤の治験を行い、ミドリ十字のために治験の期間を「調整」していた時期と重なり、さらに財団法人血友病総合治療普及会の設立のための寄付を要求した時期とも重なっていたこと、血友病総合治療普及会は実体のない法人であり、安倍医師がミドリ十字以外にも、トラベノール、カッターから1000万円ずつ、化血研から300万円、財団のための寄付を受けていることなどが記載されていた。
➡ジャーナリストの著作であるが、同著作に記載された事実が真実であることについて、高い信頼性が確立していたことを認めるに足りる証拠はないから、同著作に前記のような記載があることをもって、その記載された事実を真実と信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
イ
櫻井は、いわゆる東京HIV訴訟を、1982年5月14日の第15回口頭弁論から傍聴するようになり、原告弁護団から訴状、答弁書、準備書面などの主張書面だけでなく、書証や証人尋問調書もほとんど入手して、検討した。
櫻井は、トラベノールの90年10月29日付け準備書面により、トラベノールが83年3月21日に米国でFDAから加熱製剤の承認を受けたこと、日本では同年10月28日に「臨床治験施行のための代表世話人」である血友病専門家から第Ⅰ相試験の治験計画案が示されたことを知った。また、ミドリ十字の90年10月29日付け準備書面により、ミドリ十字はトラベノールが加熱方法として乾燥加熱処理法を採用したことを一種の驚きとして受け止め、それを契機にミドリ十字も乾燥加熱の研究に入ったこと、ミドリ十字は84年1月になって品質試験、一般薬理試験、急性毒性試験などの前臨床試験を終えたことを知った。
➡東京HIV訴訟の原告弁護団から得た準備書面、書証、証人尋問調書であるが、準備書面は、係争中の一方当事者が自己の事実上及び法律上の主張等を記載したものであり、その記載事実が常に真実であることについて客観的な保障ないし高い信頼性があるとはいえず、また、書証や証人尋問調書についても、櫻井が当時入手した書証等が具体的にどの書証であるかは明らかでない上、その内容の信憑性は各証拠毎に審査しない限り判断し得ないものである。そして、本件で提出された丙田五郎、甲川三郎、甲山八郎らの各証人尋問調書によっても、安倍医師がミドリ十字に合わせるため治験の開始を遅らせた事実、及び治験の時期に、安倍医師が製剤メーカー各社から寄付を募っていた事実が真実であると認めることはできない。したがって、前記準備書面及び尋問調書等の記載をもって、それが真実であると信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
ウ
櫻井は、東京HIV訴訟の原告弁護団を通じて、安倍医師が83年12月に製剤メーカーを集めて治験説明会を開催したことや、安倍医師が84年1月に突然、 治験統括医を辞任した事実を知った。
➡東京HIV訴訟の原告弁護団から提供された情報であって、その内容が伝聞である以上、それだけでは真実と信ずるについて相当の理由があるということはできない。また、その情報が、治験説明会の開催や安倍医師の辞任にとどまるものであれば、その情報が、ミドリ十字の加熱製剤の開発の遅れ及び安倍医師が治験を遅らせたという事実に直ちに結び付くものではない。
エ
櫻井は、88年2月23日の衆議院予算委員会の会議録を読み、そこでの厚生省薬務局長の答弁により、安倍医師がトラベノール、カッター、ヘキスト、化血研、ミドリ十字の5社の加熱製剤の治験について「代表世話人」となったこと、これら5社の加熱製剤の製造承認がいずれも85年7月1日であったこと、加熱製剤の治験開始時期はトラベノールが84年2月、カッターが同年3月、ヘキストが同年3月、化血研が同年5月であり、ミドリ十字が同年6月で最も遅かったことを知った。
➡その情報は、ミドリ十字の加熱製剤の治験開始時期が他社に比較して最も遅かったというものであり、この記載からは、ミドリ十字の治験開始が遅れていたことを真実と信ずるについて相当の理由があるということができる。しかし、そのことから、ミドリ十字の加熱製剤の開発が遅れていたと信ずるについて相当の理由があるとまではいえない。
オ 櫻井は、92年12月下旬、広河隆一とともに、厚生省薬務局長の郡司篤晃元課長に対してインタビューをした。
郡司元課長からは、トラベノールが加熱製剤の輸入承認を求めて厚生省に説明に来たこと、エイズ研究班を発足させた当時から厚生省が加熱製剤の導入に重大な関心を寄せていたこと、当時、郡司課長としても加熱製剤の治験の開始が遅れたことに関心を持っていたこと、安倍医師に関して治験に絡めて金銭を集めているとのうわさが聞こえてきたこと、このことを人を通じて安倍医師に伝えたことを聴取した。
➡郡司課長に対するインタビューであるが、その内容は、同人が加熱製剤の治験の開始が遅れたと認識していたこと、安倍医師が治験に絡めて金銭を集めているとの噂を聞き、安倍医師にこれを伝えたことであり、このことから、安倍医師が治験を遅らせたこと、治験に絡めて金銭を集めていたことを真実と信ずるについて相当の理由があるということはできない。
カ 櫻井は、93年3月15日、東京HIV訴訟の第22回口頭弁論を傍聴し、郡司元課長の証人尋問を聴いた。
郡司元課長の証言により、83年11月に開催された厚生省説明会では、第Ⅰ相試験の省略と治験例数が重要な内容であり、厚生省側は、第Ⅰ相試験については、必要ないものは必要ないと明確に答えを出せば、加熱製剤の治験がしやすくなると考えていたこと、また、加熱製剤はまったくの新薬ではなく生物製剤基準の一部の変更になるので、剤型追加の基準を準用して治験例数を明確にしたことを、櫻井は知った。
➡郡司課長の証言であり、この証言により、同課長は、第Ⅰ相試験は必要ないと述べることによって治験がしやすくなると認識していたこと、加熱製剤については生物製剤基準の一部の変更になるので、剤型追加基準を準用して治験例数を明確にしたことを認識することができる。そして、安倍医師が第Ⅰ相試験の実施が必要であると考え、治験例数を多くする計画案を提示していたことから、安部医師が厚生省とは異なる考え方を有していたことは認識することができるとしても、このことから、安倍医師が治験の開始を遅らせたと評価することはできないから、前記証言をもって安倍医師が治験を遅らせたと信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
キ
櫻井は、93年7月22日、血液製剤小委員会の委員であった山田兼雄医師に対してインタビューをした。山田医師は、血液製剤小委員会の報告書は非加熱製剤を高く評価する原告の意向を反映させたものと推測していること、安倍医師は目的のためには他のものが見えなくなり、しゃにむになりがちな性格であることなどを語った。
山田医師に対しては、94年1月27日と2月4日にもインタビューをして、83年暮れに郡司課長から、加熱製剤の治験と金銭の関係を原告に進言するように依頼された経緯について取材した。
この取材により、郡司課長が加熱製剤について「剤型変更」という方法により治験を行わないで承認することを検討していたこと、そのことを安倍医師に訴えるよう郡司課長が依頼したので、これを受けた山田医師らが安倍医師を訪ねて「剤型変更」を承諾するよう頼んだこと、その際、治験を依頼している製剤メーカーに安倍医師が財団への寄付を要求しているとのうわさについても、郡司課長から頼まれていたので、山田医師が「うわさが真実だとすれば自重したほうがよい」と安倍医師に伝えたこと、これに対し安倍医師は「もう終わった」と答え、寄付の要求はしていないとは述べなかったこと
を、櫻井は把握した。
➡櫻井は、山田医師から、同人が安倍医師に対し、安倍医師が治験を依頼している製剤メーカーに寄付を要求しているとの噂があるので「自重したほうがよい。」と伝えたところ、安倍医師が「もう終わった。」と答えたが、安倍医師は寄付の要求をしていないとは述べなかったとの情報を得たものであるが、同情報によっても、安倍医師が治験に際し寄付を要求していることが真実であると信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
ク 櫻井は、93年8月、日本製薬の元専務である国行昌頼に対してインタビューをした。
国行元専務は、安倍医師はミドリ十字と仲がよかったこと、加熱製剤の治験に絡んで安倍医師がミドリ十字の立場に配慮していたこと、治験では第Ⅰ相試験を行うことに安倍医師が固執していたこと、安倍医師が長い期間の治験に固執したのはミドリ十字が他社に比べて加熱製剤の開発が遅れていたためだと考えられること、安倍医師が自己の主宰する財団設立のために寄付金を集めたり、クリオ製剤の適用拡大に反対したことに関して、郡司課長も安倍医師に対し批判的であったことなどを語った。
➡櫻井が日本製薬の国行元専務とのインタビューによって得た情報は、加熱製剤の治験に絡んで安倍医師がミドリ十字の立場に配慮していたこと、安倍医師が長い期間の治験に固執したのは、ミドリ十字が他社に比べて加熱製剤の開発が遅れていたためであると受け止められるものであるが、同社はミドリ十字と競業関係にある製剤メーカーであり、このインタビューのみから、その情報が真実であると信ずるについて相当の理由があるとはいえない。また、化血研の担当者からの情報についても、当該担当者が誰でどのような立場にあるものかも不明である上、同社は、ミドリ十字と競業関係にあるメーカーであることからすると、このような取材から、その情報が真実であると信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
ケ 櫻井は、93年9月4日以降、数回にわたって、帝京大学の内部事情に詳しい関係者から取材をした。
この人物は、安倍医師が自室の机の前の棚に10センチほどの預金通帳の束を無造作に置いているのを見たこと、三菱銀行板橋支店に安倍医師の口座があること、製剤メーカーの人が安倍医師のもとによく来ていたこと、安倍医師の意向ですべてが決まること、安倍医師は金にうるさい人物であることを語った。
➡帝京大学の内部に詳しい関係者の供述内容が、何故に高い信頼性を有するのか明らかではない以上、その供述内容が真実であると信ずるについて相当の理由があるということはできない。
コ 櫻井は、全国ヘモフィリア友の会の会報「全友第20号」を読んで、安倍医師が83年8月14日に友の会の全国大会で講演を行い、血友病のための財団法人について「私は今、お金を集めている。現在8000万円ほど集まっているが、皆様友の会としてもお力添えいただければありがたい」と述べていたことを知った。
➡【櫻井は、安倍医師が寄付を集めているとの情報を得たのであるが、安倍医師が治験に絡めて寄付を集めていることまでは明らかになっていないから、これが真実であると信ずるについて相当の理由があるとはいえない】
サ 櫻井は、東京HIV訴訟の原告の1人である高原洋太が前記のとおり、83年7 月から85年8月にかけて、トラベノール、化血研と安倍医師を訪問して聞いた話を、本件雑誌記事を執筆する以前に、高原から聞いた。
➡高原からの伝聞であり、その内容に高い信頼性があるとはいえないから、その情報が真実であると信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
シ 櫻井は、本件雑誌記事を執筆する以前に、88年2月5日付けの毎日新聞朝刊の記事を読んだ。
この記事は見出しを「血友病治療の加熱血液製剤
学会権威「治験」遅らす」とするもので、リード文には「約千人と確認されている国内のエイズ…患者・ウイルス患者の9割以上は、エイズウイルスに汚染された血液で作った血液製剤で血友病の治療を受けていた人たちで、汚染消毒の加熱処理を施した血液製剤の開発が、わが国で大幅に遅れたため被害が拡大した。開発が遅れた一因は、製薬5社の臨床試験(治験)を一手に引き受けた血友病の権威、安部英・帝京大副学長(71)が、研究の遅れているメーカーのため、先行メーカーの治験期間を延ばすなどの操作をした「調整」であったことが4日、安部副学長本人や関係者の証言でわかった」との記載がある。
記事の本文には、安倍医師の語った言葉として「ミドリ(十字)は各社に比べはるかに遅れていた。どの製薬会社の薬も患者がみな安心して使える、ということでやらないと、あとで必ず、いざこざが起こる。だから、1社だけ遅れないよう調整した」との記載がある。
櫻井は、この記事のもととなった安倍医師に対するインタビューの録音テープを反訳した書面も、東京HIV訴訟の原告弁護団から入手し、本件雑誌記事を執筆する以前に読んだ。
➡毎日新聞の記事については、その内容に照らして、それに高い信頼性があると認めるに足りる客観的な裏付けがない限り、その記事を真実であると信ずるについて相当の理由があるとはいえない。また、毎日新聞記者の安倍医師に対するインタビューの反訳書面については、前記のとおりその内容に不明確な部分が多く、これによってミドリ十字の開発が遅れており、安倍医師がこれを調整するため治験を遅らせたと信ずるについて相当の理由があるとはいえない。
ス
櫻井は、トラベノール、ミドリ十字ら製剤メーカー5社に対して取材の申込みをしたが、裁判が進行中であるという理由で全社から断られた。
櫻井は、エイズ研究班の班員であった塩川雄一医師や、血液製剤小委員会の委員長であった風間睦美医師、委員であった長尾大医師(神奈川県立こども医療センター)に対しても取材を申し込んだが、いずれも断られた。エイズ研究班の班員であった大河内一雄医師に取材をしたことはあったが、安倍医師との意見の対立については「あまり言うと安部さんの批判になるので、話したくありません。敗軍の将、兵を語らずです」と述べ、話を聴取することはできなかった。
➡櫻井が安倍医師に対しインタビューを行った際、安倍医師自身が「私が、ちょっと、お、遅らしたというような事情、があるんですよ、治験を」と述べているが、これによって安倍医師がミドリ十字のために治験を遅らせたと評価することができないことは前記のとおりであり、そのように信ずるについて相当の理由があるとまではいえない。
そのほか、櫻井は、ワシントンポスト紙が掲載した郡司課長のインタビューの記事等の新聞記事、広河隆一の著作による「日本のエイズ」、「ミドリ十字三〇年誌」、池田房雄の著作による「白い血液」、安倍医師の著作による「エイズとは何か」「『流れる血液』と取り組んで五〇年」、また、家庭療法委員会や血友病患者によって構成されている会の出版物、血友病患者・感染被害者やその家族からの聞き取り取材、これらの人達による集会における取材、血液製剤問題小委員会の委員長である風間睦美医師に対する電話インタビュー、エイズ研究班のメンバーである大河内一雄に対するインタビュー等によって、本件記載を含めた本件雑誌記事及び本件単行本を執筆した旨述べているが、これらの取材等のうち証拠として提出されているものを検討しても、いずれも安倍医師がミドリ十字のために治験を遅らせたこと及び治験の時期に製剤メーカー各社から寄付を募っていたことを真実であると信ずるについて相当の理由があるということはできず、その余の取材等についても、これらの点について立証がされたということはできない。
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