裁判所が狂い始めている
穂積剛
2018年5月
http://www.midori-lo.com/column_lawyer_122.html
1. 「裁判官の良心」
裁判は、事実と論理に基づいて行われなければならない。
憲法76条3項は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定めている。ここでの「良心」とは、たとえば個人の信仰上の良心といったものではなく、「裁判官としての客観的良心ないし裁判官の職業倫理」(佐藤幸治)と解されている。要は、事実に基づいて論理的に、法律の客観的意味と思われるところを探求して判断する、ということである。裁判であれば当たり前だ。
2. ある「名誉毀損訴訟」
さて、ある国会議員が「従軍慰安婦」問題に関連するある記者会見で、次のように発言した。これを普通の聴衆はどのように理解するだろうか。
「先ほどの司会者の紹介の点について少しコメントいたします。
Aさんを紹介するコメントの中で彼は『sex slavery』という言葉を使われました。これは日本政府としては強制性がないということ、その証拠がないということを言っておりますのでそのような言葉を紹介の際に使われるのはややアンフェアではないかと考えております。
それから『history books』ということでBさんという方の本を引用しておりましたけれどもこれは既に捏造であるということがいろんな証拠によって明らかとされております。 この点も付け加えてコメントしておきます。」
この発言の下線部分を聞いた歴史学者であるBさんは、自分の本が「捏造」であって、その捏造が「いろんな証拠」で明らかになっている(証明されている)とまで指摘され、許せないと思った。「捏造」とは事実をでっち上げることだから、過去の事実を学問的に探求することを使命とする歴史学者にとって、これは最大限の侮辱である。歴史学者が本当にでっち上げをしたら、学者生命はお終いだ。
なお上記の発言のうち「sex slavery」との言葉は、「sex slave」(性奴隷)あるいは「sexual slavery」(性奴隷制度)と表現するのが正しい。
そこでBさんはこの国会議員を被告として、東京地裁に名誉毀損訴訟を起こした。 こんなの当然勝訴するに決まっている。ところが裁判官、しかも合議事件(3人の裁判官による審理)の裁判所はどう判断したか。
3. 東京地裁の「小学校高学年」以下判決
よくわからないだろうと思うが、裁判所の下した判断はこうだ。
何と裁判所はこの発言について、《Bさんという人の本の中に、従軍慰安婦を『性奴隷ないし性奴隷制度』だとの記述のある部分が、捏造である》との意味だとし、さらにこの文脈での「捏造」とは、単に「誤っている」あるいは「不適当」という程度の意味に過ぎないと普通の聴衆は理解するのだと判断したのである。そして、単に「誤っている」とか「不適当」とかいうのは自分の意見を述べただけであり、本来の「事実のでっち上げ」という意味ではないから、名誉毀損に該当しないと判断した。
この理屈を読んでも、きっと意味がよくわからなかっただろう。当たり前だ。まともなおつむの持ち主なら、こんなねじ曲がった解釈はしない。
小学校高学年くらいの理解力があれば、上記の国会議員の発言の下線部の「捏造」の意味は、《Bさんの本の中には事実をでっち上げた記述があり、それが色々な証拠により証明されている》と理解するに決まっている。これがどうして「でっち上げ」でなく、単に「誤っている」との意味だと普通の聴衆が理解するというのか。
いやしくも裁判所ともあろうところが、小学校程度の読解力にすら劣るような判決を下したことに衝撃を受け、Bさんはもちろん東京高裁に控訴した。
こんなデタラメな判決を、東京高裁がそのまま認めることなどあり得ないだろう。
4. 東京高裁の「小学校低学年」以下判決
結果はまさしくそうだった。東京高裁は、東京地裁のこんなデタラメな解釈を、そのまま認めることはしなかった。しかし驚くべきことに、もっとメチャクチャな判断をしたのである。
高裁は今度は、この発言での「捏造」という言葉が指しているのは「Bさんという方の本」のことだとは一般の聴衆が理解しないから、Bさんに対する名誉毀損は成立しないと判示した。ここでの「捏造」が指すのは、その前に出てくる「sex slavery」の方だと高裁はいうのである。
いや待て。もう一度記載するがこの発言は、
「それから『history books』ということでBさんという方の本を引用しておりましたけれどもこれは既に捏造であるということがいろんな証拠によって明らかとされております。」
というものなのだ。ここでの「これは」が指すのは「Bさんという方の本」に決まっている。
「これ」という指示語が指すのが「直前に出てくる言葉」だというのは、「こそあど言葉」として小学校2年生で学習する課題ではなかったか。
東京地裁の判決は小学校高学年レベルの間違いだったが、東京高裁ではついに小学校低学年レベル以下になってしまったのだ。
5. 小学生以下判決の「理由」
どうしてこんな恐るべきことが起こってしまったのか。司法試験に合格し、司法研修所でも好成績を収めて裁判官になったはずの秀才たちが、揃いも揃ってここまでデタラメな判断をしたのはどういうことなのか。
それはこの事件が、「従軍慰安婦」という政治的な案件に関する事案だったからだ。「慰安婦問題」にうんざりしている裁判官たちが、「慰安婦問題」にうんざりしている日本国政府と同じ方向を向いて、「慰安婦問題」を取り上げるBさんという学者の権利など救済したくないと判断したからだ。本当の理由は、それ以外に考えようがない。
この事件は、私自身が弁護団として参加した吉見義明先生の名誉毀損訴訟に関する事実経過を記載したものだ。
詳細な事案の経過も判決も、下記のサイトにすべて公開されている。私がここに書いたことに間違いがないかどうか疑問に思う方がいたら、実際に判決を読んでみていただきたい。
6. 運が悪かっただけか?
当然のことながら裁判官は、本来ならこのような政治的な好悪で判決を下してはならない。
冒頭に見たように憲法の定める裁判官の良心は、「裁判官としての客観的良心ないし裁判官の職業倫理」であり、裁判官の政治的意見の反映であってはならないからである。小学校低学年レベルの読解力にすら反するような判断が、この「裁判官の良心」に従ったものであるはずがない。
こんな程度の職業的良心については、多くの裁判官がわきまえて仕事に就いているものだと私は思っていた。だから東京地裁と東京高裁とで相次いで小学校水準にも達しない判断が下されたのは、裁判官としての良心を理解していない低レベルの裁判官に、たまたま運悪く続けて当たってしまっただけだろうと私は考えていた。
ところがこのあとになって、愕然とさせられる出来事に遭遇した。
7. 「判例タイムズ」解説文の衝撃
先ほどの東京地裁判決が、「判例タイムズ」という法律情報誌に掲載されていたのである。判決が掲載される場合、その前に「解説」として事案の概要やその判決の法律論的な意味などが書かれている。こうした解説は匿名で書かれるのだが、多くの場合は事件と無関係の裁判官がアルバイトで執筆する。
そしてこの「解説」において、
《本件で名誉毀損とされる発言は、(中略)従軍慰安婦を「性奴隷ないし性奴隷制度」と評価するのはどう考えてもおかしいということを政治的立場から強調して言いたいのだと受け取られるにすぎないものであった。》
と記載しており、要するに東京地裁判決の判断を追認するものになっていたのである。
これによって、「慰安婦問題」を持ち出すような学者の権利を救済する必要などないと考えている裁判官が、もっと数多く存在しているらしいという事実がわかってきた。政治的な案件になると、憲法の定める裁判官の良心など考えもしない裁判官たちが、確実に増えてきているのである。
8. 裁判官としての「良心」を失った人たち
かつて私が参加した弁護団では、李秀英名誉毀損訴訟、夏淑琴名誉毀損訴訟、百人斬り名誉毀損訴訟など、日本軍による加害行為(ここでは特に南京大虐殺)に関連する名誉毀損訴訟で、地裁から最高裁まで片っ端から勝訴を収めてきた。これらを審理した裁判官の中には、過去の日本の残虐行為を取り上げること自体を好ましく思わなかった裁判官たちも、おそらく何人かはいたであろう。
しかしそれでもこうした裁判官たちは、裁判官としての「良心」にしたがって事実認定を行い、法律解釈をすることで、権利者の正当な権利を救済してきた。政治的な案件だからといって、その好悪に左右され判断をゆるがすようなことはなかった。
ところが今では、それが根底から揺らいできてしまっている。「従軍慰安婦」のような政治的案件では、法律解釈の方が平気で歪められている。これこそ恐るべき事態である。裁判官としての責務を自覚することもできないこうした裁判官たちを、私は心の底から軽蔑する。
9. 裁判所が狂い始めた
極右政権である安倍政権のもと、在日朝鮮人などに対するヘイトスピーチやヘイトクライムが公然と行われるとても嫌な世の中になってきた。
今のところ裁判所はまだ、こうした被害者の権利を救済する方向で判示をしているようだ。しかし世の中がもっと右に動くようになったとき、本件と同様に良心を放棄した裁判官たちによって、こうした権利の救済すらされなくなる危険性が非常に高い。
関東大震災のときに、流言飛語によって朝鮮人に対する集団虐殺行為が行われ、虐殺を止めようとした日本人たちまで「非国民」扱いされた。そのような世の中に今まさになろうとしているとき、果たして裁判官たちがいつまた小学校レベルの間違いを犯さないと言えるだろうか。
今のところ、政治的でない案件であれば裁判所は何とか一定水準の判断を保っているようだ。しかし政治的案件で裁判所が狂い始めていることを放置していれば、やがてその範囲はどんどん拡がっていき、そのうち確実に裁判所全体がほとんどの事件について狂った判断をし始めるだろう。
いまこれを問題にして食い止めるのでなければ、人権救済の制度上最後の砦であるはずの裁判所は、その役割を完全に放棄してしまうに至るだろう。
10. 裁判官の著しい質的低下
ここまで記述をしたあと、政治性のまったくない普通の民事訴訟(ただしITの知識が絡む)で、東京地裁の合議事件の部総括判事(裁判長)が、和解の席(原告であるこちらしかおらず、被告はいったん退席していた)で驚くべき心証開示をした。どう考えてもこちらが勝訴する事案なのに、原告であるこちらが不利という前提での和解を持ちかけてきたのである。
あり得ないことだと思ったので、どういう争点整理をしたのか、そのうちのどの争点でどういう判断をしたのか質問していったところ、この部総括判事が完全に争点整理を誤っていたことが判明した。争点整理自体が誤っているとこちらがその場で指摘し、激しい議論をしたあと部総括判事は「では被告にも確認してみる」と言って、今度はこちらが退席して被告に確認してもらった。
そうしたら部総括判事は、「被告の意見も原告と同じだった」として、争点整理が間違っていたことを事実上認めたのである。あまりのレベルの低さに、私はあきれ果てた。
11. 深刻な状況
裁判官のレベルの低下は、裁判官としての良心を欠いているという水準だけの問題ではなくなってきている。事態は想像以上に深刻なようだ。
裁判所に行けば、正当な権利が救済されるとはもはや思わない方がいい。政治的な問題ではまず弱者が敗訴し、政治的でない事案でも、サイコロの目を転がすように勝敗が決まってしまうような事態に陥りつつある。
司法権の具現である裁判ですら、事実と論理に基づいて行われなくなった状況に、私は心底からの恐怖と戦慄を覚えざるを得ない。
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updated: 2021年8月25日
updated: 2021年10月18日