誤りだらけの「捏造」決めつけ■櫻井言説の誤り
法廷で認めたウソ
櫻井氏は札幌訴訟第11回口頭弁論(2018年3月23日)の本人尋問で、植村氏の記事を捏造と決めつけた記述の中に大きな誤りがあることを認めた。
櫻井氏は月刊「WiLL」2014年4月号(ワック発行)の「朝日は日本の進路を誤らせる」と題する寄稿の中で、こう書いていた。
「(慰安婦名乗り出の金学順氏の)訴状には、14歳の時、継父によって40円で売られたこと、3年後、17歳で再び継父によって北支の鉄壁鎮というところに連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている」「植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊と結びつけて報じた」
しかし、金学順さんの訴状には「継父によって40円で売られた」という記述はない。「人身売買」と断定できる証拠もない。櫻井氏は同じ内容の誤りを、産経新聞2014年3月3日付朝刊1面のコラム「真実ゆがめる朝日新聞」、月刊「正論」2014年11月号への寄稿でも繰り返していた。さらに、出演したテレビでも「BSフジ プライムニュース」2014年8月5日放送分と読売テレビ「やしきたかじんのそこまでいって委員会」2014年9月放送分で、同じことを話していた。
さらに、櫻井氏が間違いを認めたのはこれだけではなかった。
「週刊ダイヤモンド」2014年10月18日号で櫻井氏は、「植村氏が、捏造ではないと言うのなら、証拠となるテープを出せばよい。そうでもない限り、捏造だと言われても仕方がない」と書き、その根拠として、「(金学順さんは)私の知る限り、一度も、自分は挺身隊だったとは語っていない」「彼女は植村氏にだけ挺身隊だったと言ったのか」「他の多くの場面で彼女は一度も挺身隊だと言っていないことから考えて、この可能性は非常に低い」と断定している。
この記者会見は1991年8月14日に行われた。韓国の国内メディア向けに行われたので、朝日新聞はじめ日本の各紙は出席していない。植村氏も出席していない。しかし、記者会見で金学順さんはチョンシンデ(韓国語で「挺身隊」)をはっきりと口にしている。それは、韓国の有力紙「東亜日報」「京郷新聞」「朝鮮日報」の見出しや記事本文にはっきりと書かれている。
「ちゃんと確認して書いたのですか」「どうしてちゃんと調べなかったのですか」「ちゃんと訂正しますよね」。植村弁護団の川上有弁護士が、畳みかけるように追及を続けると、櫻井氏の声はだんだんと小さくなっていった。
尋問の最後に、川上弁護士は櫻井氏の謝罪事件について質した。櫻井氏は1996年、横浜市教委が主催した講演会で、福島瑞穂氏(当時弁護士)の名前を出して、じっさいにはなかった会話の発言を紹介した。後に福島氏に事実無根と抗議され、謝罪した事件である。櫻井氏は謝罪した事実を認めた。
櫻井氏が「40円で売られた」の記述についての誤りを認めた後、産経新聞社は2018年6月4日に、2014年の一面コラムについての訂正記事を掲載した。被告のワックも月刊「WiLL」2018年7月号に訂正記事を載せた。係争中の記事の核心部分について訂正記事が掲載されるのは異例のことである。櫻井氏が主張する「真実性」「真実相当性」は、このことひとつをもっても成立しない、との植村氏の思いはいまも変わらない。
「ドキュメント櫻井尋問にやりとりの詳細→ こちら
BSフジ「プライムニュース」での櫻井氏の発言(2014年8月5日)
えーこれは、1991年の8月11日の記事だったと思います。植村たけしさん、健康の健と書きますね、という方が書いたもので、えーそのー、挺身隊の、としてその、強制連行されたと、で日本軍のその、軍の慰安所に送られた女性が、長い沈黙を破ってその、名乗り出たという記事だったんです。
でこの、その、植村さんの記事の中では、この女性の名前は出ていない、ね。だけれどもこの女性はその3日後の91年の8月14日にですね、ソウルで記者会見したんです。私の名前は、きんがくじゅんです、というちゃんと実名を名乗って、しかも彼女は14歳で親に売られてキーセンに行きました、と。17歳でもう1回売られましたと。値段は40円でしたということを、ちゃんとこういってるわけですよね。
そうしましたら、植村さんの記事は11日に出た。で、この記者会見は3日後の14日、じゃあどうして、植村さんはこの人がキーセンに売られた人で、日本のそのあれに強制連行されたのでもないとか、もしくは、この方は挺身隊とは全く関係無いんですね、なのになぜそれを訂正しなかったかということについて、朝日新聞の今回の検証記事はですね、植村記者は、11日……その、10日に多分、あったのでしょう……11日の記事ですからね。その翌日に韓国を離れて日本に帰って来ました、と。で、14日の記者会見には行っていないということをいってるわけですが。
でもそれはすごくおかしなことで、この方は後に日本政府を相手取って裁判を起こして、裁判でも、自分が売られたということをちゃんと書いてあるんです、訴状に。
こうしたことを全然知らないで、91年から、今2014年ですから丸23年間、約四半世紀、放っておいたんですかと。で、植村記者は知りませんでしたという理屈が、どのような論理で成り立つのか、これは、私は、朝日の心ある記者は全員に聞きたいと思いますね。こんなことは成り立ちえない。
凡例▼人名、企業・組織・団体名はすべて原文の通り実名としている▼敬称は一部で省略した▼PDF文書で個人の住所、年齢がわかる個所はマスキング処理をした▼引用文書の書式は編集の都合上、変更してある▼年号は西暦、数字は洋数字を原則としている▼重要な記事はPARTをまたいであえて重複収録している▼引用文書以外の記事は「植村裁判を支える市民の会ブログ」を基にしている
updated: 2021年8月25日
updated: 2021年10月18日