裁判経過と判決 札幌地裁の審理

 

以下の記事の内容

1 口頭弁論の経過

2 争点1「真実性」「真実相当性」

3 喜多義憲氏の証人尋問

4 争点2「公共性」「公益目的性」

5 争点3「悪質性」

6 植村隆氏の本人尋問

7 櫻井よしこ氏の記述の誤り

8 櫻井よしこ氏の本人尋問

9 札幌地裁判決

10札幌地裁判決に批判

 

  

1 口頭弁論の経過

 

第1回2016年4月22日 植村氏と櫻井氏が意見陳述 

第2回 同年6月10日 事実の摘示か、単なる論評・意見か、で主張が対立

第3回 同年7月29日 植村氏側が「事実の摘示」について再主張

第4回 同年11月4日 櫻井氏側が「名誉毀損にはあたらない」と主張

第5回 同年12月16日 植村氏側が櫻井氏側の主張に反論

第6回2017年2月10日 植村氏側が櫻井氏の行為の悪質性について主張

第7回 同年4月14日 植村氏側がバッシング被害を詳細に陳述

第8回 同年7月7日 ワックが「歴史修正主義」的な主張を書面で展開

第9回 同年9月8日 証人尋問期日が決定

第10回2018年2月16日 喜多義憲氏の証人尋問

第11回 同年3月23日 植村氏と櫻井氏の本人尋問

第12回 同年7月6日 最終準備書面を提出、植村氏が意見陳述を行い結審

判決 同年11月9日 植村氏の請求をすべて棄却

 

口頭弁論は2016年4月に始まり、計12回の審理を重ねて、2018年7月に結審した。

民事裁判では当事者の出廷は義務付けられていないが、原告の植村氏はすべてに出廷した。植村弁護団は共同代表の伊藤誠一、秀嶋ゆかり、渡辺達生弁護士と同事務局長の小野寺信勝弁護士ら、毎回20~30人が出廷した。被告の櫻井氏は第1回と第11回(本人尋問)に出廷した。櫻井側弁護団は高池勝彦弁護士(主任)と林いづみ弁護士のほか新潮社、ワック、ダイヤモンド社の代理人弁護士が毎回、東京から訪れて出廷した。法廷は、座席が多く広い805号法廷が使われた。毎回、傍聴希望者が多数訪れ、第9回を除き抽選が行われた。抽選倍率は平均1.6倍で、もっとも高かったのは植村氏と櫻井氏の本人尋問が行われた第11回の4倍(席数63、希望者252人)だった。

 

口頭弁論で争われたのは、大別すると次の3つになる。

▽ 真実性、真実相当性=櫻井氏が書いたことはほんとうか

▽ 公共性、公益目的性=櫻井氏の表現行為の目的は正当か

▽ 悪質性(帰責性、予見可能性)=櫻井氏の言動と植村バッシングに関係はあるか

 

このうち、争点の中心となったのは、「真実性」「真実相当性」についてだった。

「真実性」とは、指摘された事実が真実であること、「真実相当性」とは、指摘した事実を真実だと信じる理由があること、をいう。具体的には、櫻井氏の名誉毀損表現が、事実と証拠と取材に基づく「真実」なのか、「真実」でなければそう信じる理由があったのか。

 

その立証責任を負う被告の櫻井氏は、1991年当時の新聞、雑誌、裁判訴状を具体的な証拠とし、調査と取材の経過も明らかにし、最後まで争う姿勢を崩さなかった。これに対して植村氏は、櫻井氏が証拠類を誤読していること、調査と取材も不足していることを指摘し、きわめて杜撰な根拠に基づく名誉毀損表現には「真実性」も「真実相当性」もない、と主張した。この点の論証のために植村氏が裁判所に提出した書面は13通(第1準備書面から最終準備書面まで)となり、証拠書類は計122点に達した。

 

「真実性」「真実相当性」に加え、「公共性・公益目的性」と「悪質性」も口頭弁論の争点となった。「公共性・公益目的性」について植村氏は、櫻井氏の表現行為は自身の信念や主張を広げることを目的とした政治的、私的なものではないか、と主張した。「悪質性」では、植村バッシングの原因を作ったのは櫻井氏であり、櫻井氏自身もバッシングの発生を予想していたのではないか、と植村氏は訴え、司法の判断を求めた。

 

2 争点その1 「真実性」「真実相当性」

 

櫻井氏が植村氏の記事を「捏造」と決めつけた根拠としてあげたのは、植村記事Aの前文にある「女子挺身隊の名の戦場に連行され」という表現だった。櫻井氏は、第1回口頭弁論の法廷でこう語った。

 

  初めて名乗り出た慰安婦を報じた植村氏の記事は世紀のスクープでした。

 しかし、それからわずか3日後、彼女はソウルで記者会見に臨み、実名を公表し、貧しさ故に親によってキーセンの検番に売られた事実、検番の義父によって中国に連れて行かれた事実を語っています。同年8月15日付で韓国の「ハンギョレ新聞」も金さんの発言を伝えています。しかし植村氏が報道した「女子挺身隊の名で戦場に連行され」たという事実は報じていません。

 植村氏が聞いたというテープの中で、彼女は果たしてキーセンの検番に売られたと言っていなかったのか。女子挺身隊の名で戦場に連行されたと本当に語っていたのか。

 金学順さんはその後も複数の発言を重ねています。8月14日の記者会見をはじめ、その同じ年に起こした日本政府への訴えでも、彼女は植村氏が報道した「女子挺身隊の名で戦場に連行され」という発言はしていません。」

 =櫻井よしこ「意見陳述書」2ページ

 

要約すれば、「金学順さんはキーセンに売られて慰安婦になった、挺身隊は戦時下の勤労動員制度に基づくもので慰安婦ではない、強制連行されたとは言っていない、だから捏造だ」というのである。

これに対して植村氏は、同じ第1回口頭弁論でこう述べた。

 

「櫻井さんは「慰安婦」と「女子挺身隊」が無関係と言い、それを「捏造」の根拠にしていますが、間違っています。当時、韓国では「慰安婦」のことを「女子挺身隊」と呼んでいたのです。他の日本メディアも同様の表現をしていました。

例えば、櫻井さんがニュースキャスターだった日本テレビでも、「女子挺身隊」という言葉を使っていました。1982年3月1日の新聞各紙のテレビ欄に、日本テレビが「女子てい身隊という名の韓国人従軍慰安婦」というドキュメンタリーを放映すると出ています。」=植村隆「意見陳述」3ページ

 

金学順さんの名乗り出は当時の韓国と日本の新聞でも大きく報じられた。植村氏はそれらの記事を証拠として提出し、当時の報道では挺身隊は慰安婦と同じ意味で使われていたこと、強制性は金さんの発言と多くの報道に示されていることを論証した。

証拠として提出された報道記事は次の通りである

(地裁判決書27~35、38ページより)

 

▽金学順さんの名乗り出と記者会見に関する報道

1991年8月15日付北海道新聞朝刊社会面トップ記事、東亜日報、京郷新聞、ハンギョレ新聞、8月16日付朝鮮日報、8月14日放送韓国MBCテレビ、8月18日付北海道新聞朝刊1面連載記事、9月28日付毎日新聞、12月7日付産経新聞、12月13日付毎日新聞、1993年8月31日付産経新聞

▽女子挺身隊と慰安婦をめぐる報道(韓国人女性が挺身隊として強制連行されて慰安婦とさせられたとの趣旨を表現するもの)

1987年8月14日付読売新聞、1991年6月4日付毎日新聞、7月12日付毎日新聞、8月24日付読売新聞、12月3日付読売新聞

 

韓国紙報道の一例は次のようなものである。

▽1991年8月15日付東亜日報(甲59)

「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた私が、こうやってちゃんと生きているのに、日本は従軍慰安婦を連行した事実がないと言い、韓国政府は知らないなどとは話りません」 解放46年ぶりに国在住者としては初めて、日本の統治下で日本軍の従軍慰安婦という辱めを受けた証人が歴史の表に現れた。」(中略)「金さんが従軍慰安婦として連れて行かれたのは、満16歳になった1940年春。早くに父をなくし母も再婚したため、13歳で平壌の某家に養女として入った。金さんが平壌キーセンの検番[技芸を教え、キーセンを養成する組合]を終えた年に、養父は金さんをもう一人の養女(当時17歳)と共に、日中戦争が熾烈を極めていた中国中部地方に連れて行った。養女を利用して日本軍相手の「営業」をしようとした養父は、日本軍の銃剣に一銭も受け取れず、彼女たちを日本軍に引き渡した。金さんらは部隊内の慰安所に強制的に収容された。」(中略)「金さんは「挺身隊自体を認めない日本を相手に告訴したい心境」だとして、「韓国政府が一日も早く挺身隊問題を明らかにして、日本政府の公式の謝罪と賠償を受けるべきだ」と力を込めて語った。 

▽同日付京郷新聞(甲60) 

14日、女性団体連合事務所で挺身隊問題対策協(代表尹貞玉)が設けた記者会見に現れた彼女は、「やられたことだけでも身震いがするのに、日本人が挺身隊という事実自体がなかったと言い逃れすることにあきれ証言することになった。」と明らかにした。1924中国の吉林省で金ダルヒョン、安ギョンドン氏の一人娘として生まれた彼女早くに父親を亡くし、母も再婚すると養父の手で育てられた。14歳の時から平壌妓生検番に通った。17歳になった年に養父とともに満州に行った金ハルモニは、日本軍にとらえられ、従軍慰安婦として生活するようになった。

 

金学順さんの記者会見に日本のメディアは参加していないが、記者会見の前に北海道新聞ソウル特派員の喜多義憲氏は単独インタビューを行い、次の記事を書いた。

 

▽同日付北海道新聞(朝刊社会面トップ記事)

戦前、女子挺身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌辱されたソウルに住む韓国人女性が14日、韓国挺身隊問題対策協議会(本部・ソウル市中区、尹貞玉共同代表)に名乗り出、北海道新聞の単独インタビューに応じた。(中略)この女性は「女子挺身隊問題に日本が国として責任を取ろうとしないので恥ずかしさを忍んで」とし、日本政府相手に損害賠償訴訟も辞さない決意を明らかにした。」(中略)「この女性はソウル市鍾路区中信洞、金学順さん(67)=中国吉林省生まれ=。学順さんの説明によると、16歳だった1940年、中国中部の鉄壁鎮というところにあった日本軍部隊の慰安所に他の韓国人女性3人と一緒に強制的に収容された。「養父と、もう1人の養女と3人が部隊に呼ばれ、土下座して許しを請う父だけが追い返され、何がなんだか分からないまま慰安婦の生活が始まった。」(学順さん)。

 

北海道新聞のこの記事の内容は、植村氏が書いた記事Aとほぼ一致する。

 

3 喜多義憲氏の証人尋問

 

喜多氏は第10回口頭弁論に証人として出廷した。主尋問は植村弁護団の秀嶋ゆかり、伊藤絢子弁護士によって行われた。秀嶋弁護士は独占インタビュー実現のいきさつと内容を、伊藤弁護士は植村氏の記事の評価を中心に質問した。喜多氏は、「ほとんど同じ時期に同じような記事を書き、植村さんは捏造と非難され、一方は不問に付される。これは死刑判決であり、私刑であり、言いがかりだ」と語った。以下は、伊藤絢子弁護士とのやりとりの一部である。

 

伊藤 証人が記事に女子挺身隊の美名の下にという表現を使われたのはなぜでしたか。

喜多 ひとつは金学順さんの取材した中、インタビューしたことから、いわゆる女子挺身隊、従軍慰安婦だったという、彼女も名乗ったわけですから、そういう状態であったと。それから、女子挺身隊というのは、日本では通常は勤労女子挺身隊を示すわけで、それはやはりお国のために一生懸命尽くすという意味なんですけども、名前はたいへん美しいんですけども、その当時に置かれた女性たちは、その名前とは裏腹な状態であったということですから、名前は美名であっても、実態は従軍慰安婦だというふうに考えれば、そういう美名の下にという表現が、地の文、記者の地の文として、やっぱり出てくるというふうに思いましたし、そういう流れで多分書いたというふうに思います。

伊藤 被告らは、挺身隊の名でという表現や、挺身隊を慰安婦を意味する言葉として用いることは、単なる間違いではなくて意図的な虚偽報道、捏造である、と主張しています。証人も植村さんの記事とほぼ同じ時期に挺身隊の美名でと書かれています。被告らの主張についてどのように認識していますか。

喜多 まず、捏造であるとか虚偽であるということそのものが理解を超えた、まあ、言葉は悪いんですけれども、日本語で言うとちょっと語弊があるので、リディキュラスというんですか、言いがかりというのかな、そういうふうに感じました。

伊藤 被告らは、金さんが女子挺身隊として慰安所に連行された事実はないと主張をしています。証人は金さんのインタビューで、慰安婦の強制性について金さんからどのようにお聞きになりましたか。

喜多 それは、8月14日の記事に書きましたように、養父ともうひとりの女性と3人で慰安所に呼ばれて、そこから養父だけが土下座して謝っても許してもらえなくて、そのまま2人の女性は留め置かれたと、そして死ぬほどの苦しい毎日が始まったという一連の流れ、もっとほかにも聞いたかと思うんですけれども、少なくともその記事でありますように、連れていかれる移動から収容されている時期、そしてなんとか脱出するという一連の流れを考えますと、いわゆる強制性は十分にあったというふうに感じて、その記事になりました。=喜多義憲氏調書8~10ページ 

喜多証人尋問詳細 こちら

 

4 争点その2 「公共性・公益目的性」

 

公共性・公益目的性は、櫻井氏の言説が「言論の自由(論評・意見の表明)」の範囲を逸脱するものかどうか、との観点から論じられた。櫻井氏は、①「公正な論評の法理」をもとに、自分が書いたことは公共の利害に関わり、公益目的を図るものであり、「論評・意見」の域を越えていない、と主張した。これに対して、植村氏は、櫻井氏の名誉侵害表現は、政治的な信念や自説を流布するために個人を標的にした不法行為である、と主張した。

 

双方の基本的な主張は、地裁判決書の「第2・事案の概要、2 争点及び争点に関する当事者の主張」中で次のようにまとめられている。

注=判決書の表記のうち「被告櫻井」は「櫻井」に、「原告」は「植村」に置き換えた。和暦表記は西暦とした。小見出しは削除した。

 

  植村氏の主張 

櫻井は、日本軍が慰安婦を連行し、組織的性暴力を行ったことがないという自らの「信念」の正当性を根拠づけ、強調するために、敢えて植村及び植村が執筆した本件記事A及び本件記事Bを攻撃の標的として「捏造記事」、「虚偽の記事」と繰り返し、植村や朝日新聞に対するバッシングを拡散しているのであり、本件各櫻井論文は、原告に対する根拠のない誹謗中傷そのものというべきであり、公共性・公益目的性は認められない。=判決書6~7ページ

 

 櫻井氏の主張 

本件記事Aは、2014年8月に朝日新聞も全くの虚偽のフィクション(作話)であることを認めた故吉田清治の「朝鮮人慰安婦強制連行」作話を裏付ける元慰安婦を初めて発見した記事として、日本政府への損害賠償請求訴訟活動をしていた弁護士グループや朝日新聞によって連日展開されていった「強制連行プロパガンダ」の形成に大きく寄与し、そのために、日本のみならず韓国でも慰安婦問題が大々的に報道されるようになり、さらには国連のクマラスワミ報告や米国議会決議にまで拡大して、日本の国益を著しく毀損する結果となった。

本件各櫻井論文は本件記事Aのもたらした上記のような結果にもかかわらず植村が依然として本件記事Aの内容が誤りであったことを認めないという事実を報じるものであって、公共の利害に関するものであり、櫻井は、そのような植村の姿勢に対して問題提起をするという公益を図る目的をもって、本件各櫻井論文を執筆した。

また、櫻井論文カについては、その主目的は、日本国民である産経新聞前ソウル支局長が韓国官憲によって起訴され、韓国からの出国を禁止された事件に関し、歴史問題がその背景にあるとし指摘しつつ、日本のメディアの対応を批判したものであり、その批判の対象としたNHKから取材を受けた際の事情をごく簡単に紹介した際に、植村に関して触れたものであるから、この見地からも公益目的が肯定される。=判決書6ページ

 

 

5 争点その3 「悪質性」

 

悪質性は、植村バッシングを引き起こす原因と被害の関係で問題とされた。

櫻井氏は、植村氏が受けた被害との因果関係を全面的に否定した。これに対して、植村氏は、櫻井氏の名誉侵害表現が深刻な被害の原因となることは櫻井氏自身が十分予想できたことであり、じっさいに原因となったことも明らかで、違法性がある、と主張した。 

 

 植村氏の主張 

植村は、記事を「捏造」したことがないにもかかわらず、本件各櫻井論文により記事を「捏造」したとのレッテルを貼られた。ジャーナリズムの世界において新聞記者が捏造報道をしたと表現されることは、意図的にその使命を放棄したと評価されるに等しいものであって、本件各櫻井論文は、新聞記者であった原告にジャーナリストとして不適格であるとの烙印を押し、ジャーナリストとしての社会的評価を極限まで失墜させるものであったというほかない。

また、本件各櫻井論文によって、原告の記事が「捏造」であるとのレッテルが貼られた結果、神戸松蔭女子学院大学及び北星学園大学に対して不特定多数の者から本件各櫻井論文を根拠とする原告への非難が殺到し、教授就任の撤回を求めるメール、FAX、電話などが相次ぎ、原告は、神戸松蔭女子学院大学との契約を解約せざるを得なくなり、非常勤講師の地位にあった北星学園大学においても、植村の雇用を継続するか大学として苦渋の判断を迫られ、学内の安全を確保するための特別な警備態勢を執ることとなった。このため、日本国内の大学は、植村を雇用することで、同様のバッシングを受け、学生ないし受験生への危害が予告されるなどの脅迫を受けると予測されるため、植村を雇用する大学が現れることは期待し難い状況にある。

このように、植村は、本件各櫻井論文によって、新聞記者としての社会的評価も大学教員としての社会的評価も否定され、職を一切失うに等しい状況に陥れられた。

神戸松蔭女子学院大学及び北星学園大学に寄せられたメール、FAX、電話などの中には、植村の身体を害する内容も含まれており、植村自身、日常生活において身の危険に晒された。また、植村の娘も、インターネットサイトに実名と顔写真を晒された上、誹謗中傷の書き込みを受けたほか、植村の娘が通う高校にも植村の娘の写真が入った中傷FAXが送られて来るなどの攻撃を受け、その身体に危害を加える内容の背迫を受け、さらには、植村の息子の同級生も、植村の子どもに間違われ、バッシングを受ける状況となった。

櫻井は、本件記事A及び本件記事Bと同時期に同様の記事を発行した朝日新聞社以外の新聞社の記事には何ら言及せず、「従軍慰安婦」問題というセンシティブな人道上の国際問題に関する記事を植村が「捏造」したなどという極めて違法かつ悪質な言説を用い、植村の記事のみをターゲットにして個人攻撃をした。また、インターネットの普及によって大衆側による情報発信が極めて容易な状況にあり、大手メディア等によって第一次的に発信された情報が、拡散を試みようとす者の媒介によるSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を介して爆発的に大衆間に広がる上、その特性である匿名性が加わることによって強い攻撃性を持つこと、反韓、嫌韓感情あふれる情報に関しては特にそのような傾向が強いことは、著名なジャーナリストである櫻井も十分に認識していたはずである。

にもかかわらず、櫻井がインターネット上を始めとする植村への個人攻撃が集中している最中に継続的に本件各櫻井論文を発表し続けていたことを考えれば、櫻井は、本件各櫻井論文によって誘発される原告に対する個人攻撃の発生を認識し、許容していたことは明らかであり、植村を社会的に抹殺する目的で本件各櫻井論文を発表し続けてきたとうかがわれるから、極めて悪質性が強い。

また、「捏造」という表現が、ジャーナリストにとって致命的な表現であることは前述のとおりであるのみならず、櫻井論文ア及び櫻井論文ウは、本件記事Aび本件記事Bと全く無関被告の勤務先、植村が事実を「捏造」した動機について、韓国人である義母の日本政府に対する訴訟を支援する目的であったとまで言い切っており、本件各櫻井論文の記載内容は極めて不適切で悪質である。=判決書7~9ページ

 

 櫻井氏の主張 

植村は、櫻井の行為によって生じた植村の社会生活上の不利益として第三者による脅迫行為や抗議行動について縷々述べる。しかし、第三者による植村に対する脅迫行為等が本件各櫻井論文の影響によるものであること自体が一切立証されていないし、そもそも第三者の行為は当該第三者の自由意思に基づく独自の行為であるから、櫻井に帰責すべき筋合いのものではない。

また、北星学園大学への抗議・非難メールは、2014年7月に23通であったもの、同年8月には535通に急増、以降高い水準を保ている、同月5日及び同月6日に朝日新聞に掲載された本件記事A及び本件記事Bの検証記事が自己弁護に終始したことに対、他のメディア等から極めて強い批判がされたという事実を踏まえると、第三者の行為に影響を与えたのは、ほかならぬ朝日新聞の行為であったと考えるのが合理的である。さらに2014年4月から2016年8月までの間、北星学園大学に寄せられたメールは3000通以上であるが、その中で櫻井に言及するものはわずか6件にすぎず、中には植村を支援する内容も含まれている。

本件各櫻井論文は本件記事A及び本件記事Bに対して客観的事実を踏まえ、淡々と意見ないし論評を行うとともに、真摯に植村に対して対話を求めるものであって、第三者の行為を煽る類の言葉などは一切使用されていない。むしろ、櫻井は、植村に対する脅迫行為等を含め、いかなる脅迫行為等も厳に戒めるように繰り返し呼びかけている。このような櫻井の対応に照らせば、本件各櫻井論文に影響を受けた第三者が悪意を持って原告や大学などへの脅迫行為に及ぶことは被告櫻井の意思に真っ向から反するものであり、櫻井において当該脅迫行為がされることを予見することは不可能である。=判決書11~12ページ 

 

 

6 植村隆氏の本人尋問

 

双方の主張が出尽くし、審理が大詰めを迎えた第11回口頭弁論(2018年3月23日)では植村氏と櫻井氏の本人尋問が行われた。植村氏と櫻井氏は第1回以来2年ぶりに法廷で向かい合った。この日の傍聴希望者はこれまでで最多の252人となった。抽選のために並んだ列は地裁1階の会議室から廊下にあふれ、エレベーターホールまで伸びた。弁護団席に植村氏側は34人、櫻井氏側は9人が着席し、記者席は15席がすべて埋まった。

 

植村氏の本人尋問は午前と午後に行われた。午後の反対尋問では櫻井氏側から浅倉隆彰(ダイヤモンド社)、安田修(ワック)、野中信彦(同)、林いづみ(櫻井氏代理人)、高池勝彦(同主任)弁護士が次々に質問に立った。質問は、植村氏が記事Aの前文で使った「挺身隊」「連行」という用語の意味と、キーセン学校の経歴を本文で書かなかったことに集中した。張りつめた空気の中、証言台前の椅子に座る植村氏は、ていねいに答えを続けたが、争点とは直接関係のない「吉田証言」についての質問が繰り返された時には、声を荒げる場面もあった。

植村氏本人尋問詳細は こちら

 

7 櫻井よしこ氏の記述の誤り

 

延べ2時間50分にわたった植村氏の尋問が終わってから、櫻井氏が証言席に着いた。反対尋問は植村弁護団の川上有弁護士が行った。川上弁護士は、櫻井氏が植村氏の記事を捏造と決めつけた記述の中に大きな誤りがあることを指摘し、追及した。

 

櫻井氏が「WILL」2014年4月号に書いた「朝日は日本の進路を誤らせる」には、

 

「訴状には、14歳のとき、継父によって40円で売られたこと、3年後、17歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎮という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている。植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない「女子挺身隊」と結びつけて報じた。」

 

と、ある。櫻井氏は、2014年3月3日産経新聞一面コラムでも「この女性、金学順氏は後に東京地裁に訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている」と書いた。同年8月5日放送のBSフジ「プライムニュース」や9月放送の読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」でも同様の発言をしている。

ところが1991年12月6日に東京地裁に提訴された金学順さんの賠償請求裁判(いわゆる平成3年訴訟)の訴状に「40円で売られた」との記述はない。

この誤りについて、植村氏はすでに第1回口頭弁論でこう指摘していた。

 

「訴状には「40円」の話もありませんし、「再び継父に売られた」とも書かれていません。櫻井さんは、訴状にないことを付け加え、慰安婦になった経緯を継父が売った人身売買であると決めつけて、読者への印象をあえて操作したのです。これはジャーナリストとして、許されない行為だと思います」。=植村隆「意見陳述」2ページ

 

植村氏は産経新聞社に一面コラム記事の訂正を申し入れたが、応じなかったため、同社を相手取って2017年9月1日、櫻井氏のコラムの訂正を求める調停を東京簡裁に申し立てた。

櫻井氏は、第11回口頭弁論の被告本人尋問で、40円のくだりについては「間違いですから、これは改めます」と述べ、訂正の意向を示した。

 

植村弁護団の川上有弁護士とのやり取りは次の通り。

 

8 櫻井よしこ氏の本人尋問

 

川上 で、もう一度ここで確認したいんですが、訴状には継父によってという記載がない、これは間違いないですね。

櫻井 はい。

川上 40円でという言葉も訴状には出てないことも間違いありませんね。

櫻井 はい。

川上 売られたという単語も入ってませんね。

櫻井 はい。

川上 あるいは、訴状には、継父に慰安婦にさせられたとの記載もありませんね。

櫻井 はい。

川上 訴状には、継父によって人身売買されたとの記載もありませんね。

櫻井 はい。

川上 40円という記載がないことに気が付かなかったということですか。

櫻井 40円の記載はほかにもあったのと混同したということです。

川上 でも、そのときによく読めば分かったはずですね。

櫻井 そうですね。

川上 正に、あなたの文章では重要だと書かれている部分についての論述部分なんだから、もう少し丁寧に見るべきだったんだ、先はどのあなたのご発言は、そういう趣旨で理解してよろしいですか。

櫻井 40円ということは、訴状に書かれていませんけれども事実であります。本質的な意味では間違いでないと私は考えています。

川上 訴状に40円と書いていなかったことは、間違いですね。

櫻井 訴状にはありませんでしたけれども、40円で売られたという事実は間違いではありませんので、本質的には間違いではないと考えております。

=櫻井よしこ本人調書20~22ページ

川上 ということは、ここで述べたことは明らかな間違いだということになりますね。

櫻井 はい、40円に関しては、そのとおりです。

川上 しかも、あなたは、この2014年当時、共同記者会見の中で40円で売られたと金学順さんは話していないという認識を持っておられたと、先ほど認めておられましたね。

井 その金学順さんが話していなかったということをどこまではっきり認識していたかということは、今になっては分かりません。どのくらいはっきり自分の頭の中で、彼女が記者会見でこのようなことを言ったのか言わなかったのかということを明確に区別していたのかは、ちょっと今は分かりません。

川上 だから、明確にされていたら、それはうそだということになっちゃうものね。

櫻井 意図的にうそをつくということは私はいたしませんので、間違っていたら訂正しますけれども、私の頭の中で、彼女が40円で売られたということを臼杵さんに言った、そのことが非常に強い印象となって自分の頭の中にあって、訴状とも取り違えていたということだと思います。

=櫻井よしこ本人調書32~33ページ

 

櫻井氏が「40円で売られた」の記述についての誤りを認めた後、産経新聞社は2018年6月4日に、2014年の一面コラムについての訂正記事を掲載した。被告のワックも月刊「WiLL」2018年7月号に訂正記事を載せた。

係争中の記事の核心部分について訂正記事が掲載されるのは異例のことである。櫻井氏が主張する「真実性」「真実相当性」は、このことひとつをもっても成立しない、との植村氏の思いはいまも変わらない。

この日の尋問では、冒頭と最後にも重要なやりとりがあった。

 

冒頭では、櫻井氏の「人身売買説」に川上弁護士が切り込んだ。櫻井氏は「植村氏は、金学順さんが継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった」と書いている。「重要な点」というのであれば、確実な根拠があるのだろう。川上弁護士は、最初にその点を明らかにしようとした。しかし、櫻井氏は「人身売買説」についての言及を慎重に避け、「重要なこと」は、「植村さんが、挺身隊の名で連行され、と書いたこと」と繰り返した。

尋問の最後に、川上弁護士は櫻井氏の謝罪事件について質した。櫻井氏は1996年、横浜市教委が主催した講演会で、福島瑞穂氏(当時弁護士)の名前を出して、じっさいにはなかった会話の発言を紹介した。後に福島氏に事実無根と抗議され、謝罪した事件である。櫻井氏は謝罪した事実を認めた。

櫻井氏本人尋問詳細は こちら

 

9 札幌地裁判決

 

判決は2018年11月9日、札幌地裁805号法廷で言い渡され、岡山忠広裁判長は請求をいずれも棄却した。岡山裁判長は判決で、櫻井氏の論文などが植村氏の社会的評価を「低下させた」と認めた。一方で、櫻井氏が他の新聞記事や論文などをもとに、「植村氏の記事は事実と異なる」と信じたことには「相当の理由がある」などと結論づけた。

 

名誉毀損が裁判で認められるためには、名誉を傷つけたとされる側がその言論において「真実性」が成立しない、つまり真実ではないことを述べたことが、言論の違法性を認定する要件の一つとされる。

判決は、元慰安婦の金学順さんについて櫻井氏が主張してきた「継父によって人身売買され慰安婦にさせられた」という点については、「真実であると認めることは困難である」と述べた。その理由の第一点は、植村氏が聞いた金学順さんの証言テープや当時の取材メモがないこと。第二点として、証人尋問に立った北海道新聞の元ソウル特派員・喜多義憲氏が金学順さんに1991年8月14日に単独インタビューしたときの記事や、同じ8月14日に共同記者会見した後に韓国や日本で報じられた内容、1991年12月6日に提訴した際の訴状の内容、また臼杵敬子氏が金学順さんにインタビューして月刊「宝石」 1992年2月号で報じた内容が必ずしも一致していないことがあげられた。

 

札幌地裁の口頭弁論では、櫻井氏が、「WiLL」2014年4月号で「訴状には、14歳のとき、継父によって40円で売られたこと…などが書かれている」と記述した点について、被告本人尋問で、金学順さんの訴状に「40円で売られた」という記述がないことを櫻井氏が認め、「WiLL」に訂正記事を掲載した経緯があったが、この判決では触れられていない。

しかし「真実性が成立しない」、つまり櫻井氏の記述に誤りがあるとされた場合でも、筆者が真実と信じたことに相当な理由があるとき、つまり「真実相当性」が成立すれば、その筆者の責任は免除される。判決はこの「真実相当性」を幅広く認め、櫻井氏の誤りには故意や過失がなかったとして免責した。

 判決の主要部分は次の通り。

 

慰安婦の定義を櫻井の主張通り、「戦地で売春に従事していた女性」とした

 女子挺身隊とは、これらの勤労動員制度に基づき、国家総動員法5条が規定する「総動員業務(総動員物資の生産、修理、配給、輸出、輸入又は保管に関する業務等をいう。)について工場などで労働に従事する女性のことを指すものである。

 これに対し、慰安婦ないし従軍慰安婦とは、太平洋戦争終結前の公娼制度の下で戦地において売春に従事していた女性などの呼称のひとつであり、女子挺身隊とは異なるものである。

 =地裁判決書36ページ

 

櫻井が主張する「人身売買説」は真実とは認められない、と判断した 

慰安婦となった経緯に関する金学順氏の発言は、本件記事Aが報道された数日後の8月14日に北海道新聞ソウル駐在記者であった喜多の単独インタビューに応じた際に報じられた内容、同日の記者会見に応じた際に報じられた内容、本件遺族会の会員が提訴した平成3年訴訟における訴状で主張していた内容、共同記者会見後に日本の報道機関によるインタビューや記者会見に応じた際に述べた内容を記載した臼杵論文との間で必ずしも一致しておらず、「継父によって人身売買され慰安婦にさせられた」という事実が真実であると認めることは困難である。

=判決書48~49ページ

 

櫻井が「人身売買説」を信じたことに、相当の理由を認めた 

被告櫻井が、金学順氏をだまして慰安婦にしたのは検番の継父、すなわち血のつながりのない男親であり、検番の継父は金学順氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとしていたことをもって人身売買であると信じたものと認められる。=判決書49~50ページ

上記ハンギョレ新聞、平成三年訴訟の訴状及び臼杵論文は一定の信用性を措くことができる資料であるということができる。そうとすれば、被告櫻井が、これらの資料に基づいて上記のとおり信じたことについて相当の理由があるというべきである。=判決書50ページ

 

櫻井の誤りについては、「援用に正確性を欠いても相当性は欠けない」と判断した 

被告櫻井が、櫻井論文アを記載するに当たっては、同訴状だけではなく、ハンギョレ新聞や臼杵論文もその資料としていたのであるから、平成3年訴訟の訴状の援用に正確性に欠ける点があるとしても、真実であると言じたことについて相当性を欠くとはいえない。=判決書50ページ

 

 「金学順氏は、女子挺身隊の名で連行、とは語っていなかった」と認定した 

本件記事Aのリード部分にある「女子挺身隊の名で」という言葉は「韓国で女子挺身隊というふうに呼ばれているところの慰安婦として使いました。法令に基づいて連れて行かれた人ではないということは認識がありました」(原告本人)と供述していることからすると、金学順氏が、挺対協の聞き取りにおいて、「女子挺身隊」の名で戦場に連行されたと述べていなかったと認められる。=判決書51~52ページ

被告櫻井本人は、本件記事Aが報じられた数日後に行われた金学順氏の共同記者会見の内容を報じたハンギョレ新聞、平成3年訴訟の訴状及び臼杵論文の調査等により、金学順氏が挺対協の聞き取りで「女子挺身隊」の名で戦場に連行されたとは述べていなかったと考えた旨陳述しており、上記の資料に一定の信用性を肯定することができることは前記のとおりであるから、被告櫻井が、金学順氏が挺対協の聞き取りで「女子挺身隊」の名で戦場に連行されたと語っていなかったと信じたとしても、相当の理由があるというべきである。=判決書52ページ 

 

「植村記事Aは強制連行を報じた」と櫻井が信じたことに、相当の理由を認めた 

 朝日新聞は、1982年9月2日、吉田を強制連行の指揮に当たった動員部長と紹介して朝鮮人女性を狩り出し、女子挺身隊の名で戦場に送り出したとする吉田の供述を初めて紹介し、それ以降も国家総動員体制のもとで軍需工場や炭鉱などで働く労働力確保のための報国会の動員部長として多数の朝鮮人女性を強制連行したとの吉田の供述を繰り返し掲載していたし、本件記事Aが報じられる前の朝日新聞以外の報道機関も、「女子挺身隊の名のもとに(中略)朝鮮半島の娘たちが、多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた」、「朝鮮人従軍慰安婦は(中略)「女子挺身隊」の名目で強制的に戦地に送られ」、「「女子挺身隊」などの名目で徴発された朝鮮人女性たちは(中略)慰安所で兵士たちの相手をさせられた」などと報じていたのであり、被告櫻井もこれらの報道に接していたのであるから、被告櫻井が、本件記事Aの「女子挺身隊の名で連行された」との部分について、韓国で慰安婦の意味で使われている「挺身隊」又は「女子挺身隊」という意味ではなく、金学順氏が第2次大戦下における女子挺身勤労令で規定された「女子挺身隊」として戦場に強制的に動員されたと読んだとしても、そのことは、一般読者の普通の注意と読み方を基準としてした解釈としても不自然なものではない。

 しかるところ、女子挺身勤労令で規定するところの「女子挺身隊」と太平洋戦争終結前の公娼制度の下で戦時下において売春に従事していた慰安婦ないし従軍慰安婦は異なるものであるから、被告櫻井が、原告が本件記事Aにおいて慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊を結びつけ、「女子挺身隊」の名で金学順氏が日本軍によって戦場に強制連行されたものと報じたと信じたことについては相当の理由があるというべきである。=判決書52~53ページ

 

義母との関連で「記事Aは事実と異なる」と櫻井が信じたことに相当な理由を認めた 

原告の妻が本件遺族会の常任理事を当時務めていた者の娘であり、本件記事Aが報じられた数か月後に金学順氏を含む本件遺族会の会員が平成3年訴訟を提起したことを踏まえ、被告櫻井が、本件記事Aの公正さに疑問を持ち、金学順氏が「女子挺身隊」の名で連行されたのではなく検番の継父にだまされて慰安婦になったのに、原告が女子挺身勤労令で規定するところの「女子挺身隊」を結びつけて日本軍があたかも金学順氏を戦場に強制的に連行したとの事実と異なる本件記事Aを執筆したと信じたとしても、相当な理由があるというべきである。=判決書55ページ

  

金学順氏が言う「挺身隊」は法令上の「女子挺身隊」ではない、と認定した 

 金学順氏が一度も「挺身隊」だったと語っていないという部分については、金学順氏が、共同記者会見で、「挺身隊」又は「挺身隊慰安婦」だったと述べていることからすると、その限度では真実ではないというべきである。しかし、同記述の前後の文脈からすれば、同記述は、韓国で慰安婦の意味として使われている「挺身隊」又は「女子挺身隊」という意味ではなく、金学順氏が第2次世界大戦下における女子挺身勤労令で規定された「女子挺身隊」であったと語ったことはないということを意味するものと解される。そして、金学順氏が、女子挺身勤労令で規定するところの「女子挺身隊」であったと語ったことはないとの事実は真実であると認められる。

 そうすると、櫻井論文オの前提事実は、いずれも重要な部分において真実であるか、又は真実であると信じたことについて相当の理由があるところ、これらの事実を前提として、被告櫻井が、原告が金学順氏が女子挺身隊として日本軍に連行されたという事実がないのにこれを知りながら、金学順氏が日本軍に連行されて慰安婦とされたという事実と異なる記事を敢えて執筆したと言われても仕方がないであろうと論評ないし意見をしたとしても、原告に対する人身攻撃に及ぶなど論評ないし意見の域を超えたものであるとはいえない。

 =判決書64~65ページ

 

櫻井のバッシング拡散目的を否定し、公益目的があると判断した 

本件各記述の主題は、慰安婦問題に関する朝日新聞の報道姿勢やこれに関する本件記事Aを執筆した原告を批判する点にあったと認められ、そのような目的と異なり、被告櫻井自身の「信念」の正当性を根拠づけ、強調するべく、原告や朝日新聞に対するバッシングを拡散することが主眼とするものであったとは認め難い。=判決書65ページ

慰安婦問題は、日韓関係の問題にとどまらず、国連やアメリカ議会等でも取り上げられるような国際的な問題となっていると認められるから、慰安婦問題に関わる本件各記述は、公共の利害に関する事実に係るものであるということができ、このような慰安婦問題に関する朝日新聞の報道姿勢やこれに関する本件記事Aを執筆した原告への批判は公益目的を有するというべきである。=判決書65~66ページ

 

  

10 札幌地裁判決に批判

 

判決に対して植村氏は閉廷後に開かれた記者会見で控訴の意向を示し、「悪夢のような判決でした。私は法廷で、悪夢なのではないか、これは本当の現実なんだろうかとずっと思っていました。今の心境は、言論戦で勝って、法廷で負けてしまった、ということです」と述べた。

 

この日の夜、報告集会が道庁近くの「かでる2・7」で開かれた。夕方から降り出した冷たい雨の中、約180人が集まり、会場はほぼ満席となった。弁護団小野寺事務局長が判決内容を解説し、問題点を指摘した後、「植村裁判を支える市民の会」共同代表で前札幌市長の上田文雄氏と植村氏が判決についての考えと今後の決意を語った。

  

  小野寺信勝弁護士 「櫻井の職業責務を無視した不当判決」  

判決は、「植村さんが記事を捏造した」と櫻井氏が書いたことを、名誉棄損に当たると判断した。しかし櫻井氏に免責される事情を認定し、請求は退けられた。「植村さんが記事を捏造した」と判断されたのではない。

金学順さんがどういう経緯で慰安婦になったか、裁判所は認定できないとした。その上で、櫻井氏がいろいろな記事や訴状を見て、継父によって慰安婦にさせられたと信じたのは、やむを得ないとした。また植村さんの妻が太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部の娘という親族関係から、植村さんが公正な記事を書かないと信じてもやむを得ない、としている。

判決はさらに、植村さんが意図的に事実と異なる記事を書いたと、櫻井氏が信じたのもやむを得ないとした。だが一足飛びに「捏造したと信じた」というのは論理の飛躍だ。それに櫻井氏が、事実に基づいて物事を評価するのが職責のジャーナリストであることを考慮していない。

櫻井氏の本人尋問では、杜撰な取材ぶりが明らかになったが、これでは、不確かな事実であっても信じてしまえば名誉棄損は免責されてしまうことになる。櫻井氏の職責(職業責務)を無視した非常に不当な判決だ。

 

 上田文雄氏 「市民の良識と正義感を打ち砕く不当判決」  

北星事件と植村バッシングの当初から、私たちは民主主義社会における許し難い言説として、問題の真相を語り、闘う意味を伝え、多くの支援を得てきた。支援された方々に心から感謝します。だが判決は、市民の良識と正義感を打ち砕く、まったく不当な判決となった。

私は司法が、櫻井よしこ氏の杜撰な取材を叱り、ジャーナリズムに高い水準を強く求める判決が欲しかった。控訴審でも、この裁判が持つ意味をさらに多くの方々と共有していきたい。

 

 植村氏 「悪夢のようだ。言論の世界で勝ち、法廷で負けた」 

悪夢のようだった。典型的な不当判決だ。私は承服できない。高裁で逆転判決を目指すしかないと思っている。櫻井氏が自分に都合のいい理屈で私を捏造記者に仕立てようとしたが、本人尋問でその嘘がボロボロ出てきた。裁判でただ1人の証人、元北海道新聞記者の喜多義憲さんは、私が書いた数日後、金学順さんにインタビューした。当時の状況を証言し、櫻井氏らの植村攻撃を「言いがかり」と証言した。

新聞労連や日本ジャーナリスト会議は支援を組織決定した。ジャーナリストの世界では、植村は捏造記者ではない、櫻井氏がインチキしていることは知られているが、それが法廷では通用しない。私は言論の世界では勝っているが、この法廷では負けてしまった。

私が怒っているのは、櫻井氏らの言説によって、名乗らないネット民たちが娘の写真を流したり、大学に脅迫状を送るなど、脅迫行為が広がったことだ。こんなことを放置したら、家族がやられる。20年、30年前の記事に難癖をつけられたら、ジャーナリスト活動ができなくなる。

困難な戦いだったが、私は皆さんと出会えた。敗訴した集会でこんなふうに会場が満員になる。市民は我々の側にある。我々は絶対に負けない。